合気道談義

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2021年

1月

07日

鳥山光世さん 四段小論文20201220

 私が合気道をはじめて16年となりますが、身長151センチ、体重44㎏、

年齢70才と高齢であり、小柄な私がこれ程長く続けていかれるのか?

これを探究することは、合気道とは?と同様ではないかと考えています。

合気道は、人体の動きを最大限、効率的に活かしていることを次のとおり述べてみたい。

 他のスポーツ界では、一般的に強い力や、速度を重要視します。具体的にいえば、力とは筋力でありそれによって相手(もしくは物体)を早く動かせるか、または自分が動くか(競争)となります。しかし合気道で重要な動きは、『円の運動』です。自身がみずから回転することはご高齢の方でもできますし、相手の攻撃をかわし、導きさらに体勢を崩しと理にかなった体捌きです。しかし、実際には相手を倒すことばかりが先になり、導き体勢を崩すのは”力“だと思っている方が大勢です。

 『円の運動』が体捌きで対処出来ることを稽古で丁寧に説明したい。合気道には、攻撃のための技はなく、相手から攻撃されてそれを捌くのが合気道

の動きです。勝つことを目的とし、力に頼り他人と強弱を、勝敗を争うということはありません。このことが合気道を長く続けていかれる事になります。さらに、性別、年齢、身長、筋力、技の習熟度、社会的経験も違うさまざまな人々と、切磋琢磨し、技の向上に繋げていけます。

 長く合気道を続けていくためには、まず健康、けがをさせない、けがをしない稽古をだれもが目指すべきものです。

 人間の体の構造や仕組み、筋力の働き方などの理論を事細かに研究、理解

しようとする方もいます。しかしそういったものの研究の上に技が出来て

いるのですから、頭で考えるより、まず身体で覚えてほしいと思うのです。

 理屈にとらわれてしまうとかえって体が動かなくなるものです。吉祥丸二

代道主は「武道の『研究』をしているのか、武道そのものをやっているの

か、そこをはき違えてはいけない」と言われています。

 不思議なもので、ある程度年齢を重ねた方々の方がそうゆう傾向にあるよ

うに思う、と道主は述べられていらっしゃいます。

 私も理屈が先となっているのではないか思い、素直に体で覚えることを

重視したい。

*合気道 稽古とこころ 現代に生きる調和の武道

 合気道道主 植芝守央著 内外出版社 より

 

 コロナ禍で4ケ月間稽古が出来ない事、マスクを着装しての稽古等制約の

多いなかでの稽古はこれからいかに生かすことが出来るかを私の課題とし

ていきたい。                       

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2021年

1月

07日

本多 寛さん 四段審査小論文20201220

「けがをしない・させない合気道」

合気道の特徴は、「①徒手対徒手の他に武器対徒手 ②多人数を相手にすること ③左右表裏を交互に行うこと ④お互いに気を合わせ、勝ち負けがないこと」などがあげられます。 試合・勝負がないことから、高齢者からでも始めることができ、指導・稽古により「けがをしない・させない」合気道が可能になります。

 「けがをしない・させない合気道」をモットーに指導されていた、「合気道木蓮の会」を立ち上げにかかわった縁で、201710月から指導を引き継ぎお手伝いすることになりました。護身術講座などの、一般市民・未経験者を対象にしたものや、日々稽古している人たちへどう伝えられるか、その人の技量では何を教えるのが適しているか、正しいのかと思いながら指導しているところです。

 合気道は、武道であり体操スポーツとは、違い「礼の仕方、立ち方、座り方」などの礼儀作法から始まり、体を柔らかく・強く・動きよくするための準備運動、入身・転換・転身等(円転の理)の体さばきや、受け身や基本技の稽古により、心身を鍛え己を高めるものと考えております。 体さばき、受け身、基本技についても、最初は頭で理解して、動きを学ぶことになりますが、何度も反復継続して、自ら考え試行しながら稽古をすることで、頭でなく体が自然に動くようになり、さらに全体が広く見られ相手と一体となって技がかけられるようになってくるものです。

 「けがをしない合気道」としては、入り身・転換・転身等の体さばきと、受け身や準備運動が重要と思っています。 体さばきができることで、道場に限らず日常生活においても、衝突が避けられ、けがを防ぐことや、相手から逃げることも可能です。 

準備運動で手首を柔らかく・強くしておくことや、受け身が取れることで、転んでも、仮に手をついても、大けがにならずにけがをしないか、けがを小さくすることが可能です。 しかし、「けがをしない・させない合気道」は、武道として投げ技・固め技をしている以上、難しいところがあります。 取りと受けの関係や周りの人たちの技と位置の関係など、思わる接触が発生したり関節を痛めたりすることがあります。

 取りと受けの関係では、取りは力わざではない、ぶつからない技が大事で、相手に合わせて、崩し導き技をかけること、水平垂直の動きでなく、円のように丸い動き、いわゆる「円転の理」で丹田からの体の動きに足・手と気が一体の球体運動で、さばける必要があります。

まず、「ぶつからない」方向とは、物理や力学でいうところの、支点・力点・作用点を思い浮かべ、ベクトルの方向に合わせた方向への技が必要であり、崩し導くには、体の向き・足の運び・気の流れ・手・ひじ・腕の使い方、心身統一の状態と複合的な作用になります。 この時に、相手の状態に合わせられるか、自由に動く部分はどこか、無理のない正しい距離と方向か、丹田を中心にした体の動きができているかが重要であり、手先の技にならず、体が先で手・足・気が一体になっているのかを確認していくことが必要であります。また、受けは、相手に柔らかく付いていき、相手に近い脚は即座に閉じられるように、四方投げなどでは肘と耳を離さないなど、技に応じた受けが必要です。 取りも相手を制御しながら、崩し固める場合でも、例えば相手の肘の位置と体の関係など、本来崩れる方向に崩し、けがをさせないことが重要であります。

さらに、他の稽古をしている人との接触事故を防ぐには、道場全体の中で、相手や周りの人たちの状況も、見て感じられることが必要であり、そのためには、稽古をしている人たち皆が、肉体とともに心の余裕と充実により、全体を俯瞰しながら行動できるようになることかと思います。 まず、自分自身が全体に目が配られるようになり、その場と一体になるため、姿勢と目付、体軸、丹田からの動きに注意しながら稽古に励んでいきたいと思っています。 2020年は、新型コロナの影響で、稽古の休止、対人的になるべく触れない稽古や、マスクの着用稽古により休憩回数を増やし、そのたびごとの消毒など、新型コロナ対策を実施しての稽古の他に、「気」を意識した稽古や、DVD等のない時代の資料を基にした、「流気図」「運足図」「道歌」「道文」の解説、剣杖でのソーシャルディスタンスの確保など、稽古の方法を見直す機会となりました。

新型コロナと伴に暮らす時代となり、基礎体力の減少を抑え、細心の注意を図りながら日々の生活を充実させることが重要となっています。 高齢者からでも始められる合気道をさらに、広めるためにも、健康で安全安心でき、力を入れずに、いかに自分の腕や体の重さを利用し、手足が一体に動く時のモーメント力の大きさや、円転の理・呼吸力を大事にするとともに、ディテールの部分も疎かにせず、今後も「けがをしない・させない合気道」に努めていきたいと思っています。

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2020年

12月

31日

櫻井正元さん 四段審査小論文20201220

高齢初心者の稽古について

初めに

 スポーツ経験の殆ど無いシニア世代の初心者にとって、合気道稽古のイロハは解りがたいものが多い。私自身を例にあげると、最初は「立てばフラつき、座ればすぐ立ち上がれず、出るのは右足が先?左足が先?」「前受身は頭や肩を打ち、後ろ受身でも頭を打ち斜めに転がって立ち上がれば目が回る」小中学校時代に習った「前転・後転」とはまた違う動きに戸惑うばかり。どうして「クルッ」と廻れるのか、すぐ立ち上がりフラつきも無く安定出来るのだろうか。取りと受けの稽古に入ると、解らないうちに投げられている。自分が取りになると受けは動かない。「腕の力で投げている」「肩の力を抜いて」「脱力とは違うよ」と言われても、感じが掴めず硬い身体が益々固まってゆく。内心は、投げられる怖さもありました。

当初は先生の示範指導の動きの流れが解らず戸惑うばかりでしたが、周囲の方達からの部分々々の手と足の動き、体幹の動き等を色々教えて頂き、入り身・転換・膝行プラス基本技(正面打ち第一教・入り身投げ、片手取り四方投げ、呼吸法など)の習得には「今日は何の技を」と毎回の目標を持つ良いと。また解説本を貸して下さったり、DVDを提供して頂いたり、幸徳会の皆さんや白帯の同期の方達からも温かく接して頂いたことは、シニア年齢だった私にとって安堵と励みになり稽古に通うことが出来ました。少しずつ体が動けるようになると、稽古に面白さを覚え、先生方の丁寧な示範指導の動きや説明、合気道談義が頭の中に入るようになって行きました。また先生や有段者からの相対での実技指導は感覚としても残り、誘われるような、包み込まれるような、取りに抗えずにいる受けの自分、動かされている受けの自分。覚えた技にも、また新たな発見がある楽しさ。「受けを知って、取りを知る」と中野先生の教えに、合気道の奥深さの一端を学ばさせて頂いて来ました。

現在は、歳も重ね自分なりのマイペースで稽古をさせて頂いています。稽古日の道のりも、以前より疲労感はありますが、まだ苦にはなっていません。稽古仲間がいるということは高齢者にとっては「外へ出る機会でもあり、いつもの顔を見、いつもの会話をする。」みな励みになっているからです。いずれ、身の退くその日が来るでしょうが、それまでは剛の稽古は出来ませんが、柔の稽古に付き合って頂ければ幸いです。 

長寿社会の現代、高齢者のセカンドライフの一つに合気道を選択して石川武道館に来られた方が、私と同じような「驚きや疑問や不安」を、中には「やりたいけれど、自分には無理かな」の思いをされている方もいるでしょう。初心者に合気道の面白さを知ってもらえるよう、長続きするよう、迷惑にならない範囲で言葉を掛け、先輩諸氏から学び得たことを伝えていければと思っています。

さて、シニア世代、とりわけスポーツの継続的経験の殆ど無い高齢者の運動能力面での特徴と言いますと、

  身体が硬く柔軟性に乏しい、実は体を動かすことが苦手。

  足腰(下半身)と手と腕(上体)、顔の動きの同調性が減退している。日常生活の中には気づかないけど同調性のある動きがある。身近なのは「靴下の脱ぎ履き、片付け掃除や台所仕事、自動車・自転車の運転等」には眼と手足、体幹の同調・供応作業がある。電車の揺れに同調出来ずにヨロケてしまう経験等は皆あるでしょう。一つに下半身の安定力や背筋力等からのバランス力を保つ機能の衰えがあるからだろうと思います。

  腕力に頼りがち。

  歩行の歩幅が狭い傾向にある。結果、歩くスピードが遅くなってきている。

  普段の生活では身体の軸や重心、姿勢を意識したことが無く、稽古での不安定さが露わになる。

  経験したことの無い未知のことに対して、対応できない不安感(怖さ)がある。

  物忘れが来ていると感じている。

以上は、老化現象の一般的な事柄ですが、上記の②や⑤に関係する特質で、自分でも気づかずに潜在し進行している場合や傾向があることです。それは「ワーキングメモリー」と言って、初期段階の認知や記憶の定着が語彙数や言語活動の減退から、スムースに理解受容⇒【音声→言語+視覚→記憶→定着→理解整理→行動→般化】⇒できない前頭葉・側頭葉の働きの症例を言い、つまり最初の聞き取りや視認の『記憶・定着への初期処理能力』に遅れ(時間差)があると言うことです。この行動心理現象が老化による機能の減退症状にも似て当てはまるそうです。この初期処理能力がスムースに理解整理できれば、次の行動へ速やかに移れると言うことです。

かく言う私自身も減退傾向にあると自認しています。マイペースの稽古に為りがちなのもそれ故です。進行を止めることは出来ないまでも、緩やかにするには刺激だけでなく【コミュニケーションや目的のある生活、何等かの役に立っている意識の持てる生活、笑いがあり、リズムのある生活】をして行くのが重要だろうと思っています。いや、そう言われています(認知症対策ですね・・)。シニア世代、高齢者にも個人差があり、皆そうだとは言えません。しっかりした人もたくさんいます。ただ歳を重ねるほど意識と体力は、並行して行きません。

合気道の稽古では、示範指導された技を両者で相互に繰り返し稽古することで、習得されていくものですから、「若い方や経験の深い有段者」との違いがここに出てくるわけです。特に②の手足の同調性・供応のある動きを生じさせる基となる身体の軸や気の流れを意識した動きは「体捌き・崩し」に顕著に表れてくると言えるからです。そこで、高齢初心者が合気道に親しんでもらいたく、毎回の繰り返す稽古の中で「記憶・定着」し、次の行動に移りやすくなるように。また、幸徳会の皆さんには、シニア世代、高齢初心者の特徴を今以上に知って頂きたく、気になることがあれば、これまで同様にフォローして頂ければと思います。次に、先生諸氏・先輩諸氏の教えを私なりにリメークしてみました。

1.「礼」の大切さと観察眼

 相手の存在や心を尊敬することで、独り相撲にならないよう気配りをすることで相

 に充実した稽古になり、次に繋げていける。「先生の示範指導」や仲間の稽古は、見取り稽古と同じ。一点集中の観察眼を養う場になる。指導者の示範は横並び、縦並び、部分の動きと個々丁寧に実技を示範してくれているので、先ずは「取り」の手の動き、足の動き、全身の動きとに分解して観察できるとよい。実際の繰り返し稽古の中で、どのように動いて技の形になっているのかを順序立てて記憶・定着すればイメージトレーニングも出来る。高齢者に関わらず「初心者は全体像」を見がちなので、上級者からは稽古の中で「Q&A」や個々の「出来ているところ、修正するところ」など、初心者本人の理解に会わせた言葉掛けが出来るとよい。

グループ分けも考慮できるとよい。

2.フラつかない立位の姿勢

「身体の中心は臍下丹田にあり」臍下を「軸」として、常に身体の正面を意識した動きを意識する。軸を意識できれば、「身体には重み」があることも意識できるようになる。この重みを如何に利用し、安定感のある技に活かしていけるかに繋がっていく。立位姿勢の基本に「半身の構え」がある。安定した姿勢であり、前後左右に動ける姿勢でもある。畳の境目を利用して確認することができる。(上記1,とのつながり)

3.「力を抜く」のは誰にでもできるのか

   脱力ではないと言われ、意識すると返って迷ってしまう。要は「自然体」のことと理解して良いのではないか。これなら脱力はしていない。「自然体」は、高齢者には経験上から案外理解(環境にもよるが、完全休めの姿勢ではなく、力まずに心が何かに集中している姿勢でもある)できる言葉であり、その状態を作れるものである。この自然体に軸や重みを意識すれば「気」を意識する基ができる。この先が難解であり、稽古の繰り返しによって習得・体得に繋がっていくものなる。

4.「気」とは何か

 ・一つは「合気」の字面から、取りと受けの気を合わす。と言って馴れ合いのようにしてはならない。ここには相互の緊張感があって、気の流れ(両者の気持ちの和)を意識した稽古をすることで、技の理解習得へ繋がっている。

例:正面打ち入り身投げ、片手取り四方投げ⇒「ぶつかって、ぶつからない」⇒受けとの接点の間を言い、受けの気をぶつからずに導き(崩し)流し、取りの守備範囲に取り込み(合体する)円運動に乗せて捌いて行く⇒実際には難しいが初心者にも目標になる。(合気道談義から)

 ・二つに、天と地の云々・・・・・・・・、難解なので省略します。

 ・三つ目を考えた。「気を締める」「気を緩める」という、相反する言葉がある。自然体であっても「体捌き」「崩し」ができる「隙のない姿勢」を作るには、身体全体にみなぎる「気魄・気迫・気概・覇気・眼力」とかがすぐ浮かぶ。確かに真剣勝負とか一球入魂などの言葉通り、ことに向かっての気持ちを表している。しかし、合気道の気の理解には筋肉的で「剛」すぎる。それなら「身体を締める・身体を緩める」気の持ち方の方が相応しい。ならば、筋肉よりも柔らかい関節(指先・手首・肘・腰・首・顔・肩・膝・足首・足先)のことと理解したい。この関節の締め具合、ゆるめ具合、向き方で身体の動きに方向と柔軟さ重みが出て来、動きに幅が出来、応用力も期待できる。これを意識下に置くことで「気」の仲間と考えてみた。よって「気」は、自分の身体全体を自己の意識下に生じるもの、生じさせるものと言えるのかも知れない。「気骨」「気力」はそれに近いとも言える。では行動や意欲をかき立てる「何々をする、何々をしたい、~をして欲しい」気持ちの「気」もある。これは意識ではなく「意思・意志」で、合気道でいう気には当てはまらないのか、否やはり気であると思う。 

 ・もう一つ、「気が張る」「気張って」という言葉がある。これも合気道で言う「気」なのか? 人は気が張ると何故か「力」(例:火事場の馬鹿力・頑張る)を出す。時に我を忘れないような「平常心」の言葉もある。合気道は力で相手を圧倒するものではない。さすれば、この気の出方は、合気道で言う「気」ではないことになる。でも気である。

5. ところで全身に「気を溜める」ことは出来ないのだろうか。よく腹式呼吸(例:ロングブレストレーニング)が良いと医師やトレーナーが述べている。腹式呼吸で溜めた呼気が全身に行き渡らせられれば「気の力」の基になる。そんな本を読んだことがあり、なんて思う時がある。人の生活、生き方や職業の中には様々な気が存在している。他の武道にもスポーツにも。善悪の気、呑気も? 中には生臭いものや殺気、煩悩もあろうが、互いを理解する心を持つことで生活が、社会(の秩序・ルール)が成り立っていることからも、合気道の気も、そのような気に共通したものではないだろうか。結局、初心者に問われた時は「稽古を積み重ねることが教えてくれるでしょう」「何事も振り返ったときに答が出る」の平易な応答になるか。開祖が歩んだ道のりの中で開眼された精神性にたどり着くには、はるかに遠い遠い先のこと。これは呼吸法と併せて理解したい。

6. 受身

どの解説本も受身の最初には必ず「後ろ(反転)受身」が出てくる。次が「前方回転受身」。初心者には後ろの方が怖い思いがするが、先生から、膝から足を折って後ろに甲を着地させ、尻・腰・背中と斜めに接地すれば安全な受身が出来る。初心者は後ろ受身の練習から始めた方が良いと伺った。後方回転受身が出来れば、前方受身に応用できる。前方受身は手の着地が出来れば頭を中に入れて背中から腰へ斜めに滑らかに接地させ、丸く廻れば安全に出来るので段階を踏むと良いと。安全第一だと。確かに前方受身は取りから反動(スナップ)を付けて投げられると自分の予測よりも前に出るので、実際、頭を打ったり肩を打ったりすることがある。稽古では、怖さのある受身にならないよう高齢初心者の安全と基本に時間を割いてやれると良いと思う。 

7. 呼吸法

解説本には、単に鼻や口からの呼吸を言うのではなく稽古の修練によって発揮される全身統一される力で「呼吸力」と呼んでいるとある。

稽古の最後に必ず「座位の呼吸法」があり、馴染みやすいが、簡易な技法ではない。座り技・立ち技と多種あるが、身体全体の力を集中させて発揮させる呼吸力は気の発揮ともなる。先ずは基本形があるので、それに倣って稽古の繰り返しの中で習得できるように伝えたい。私も習得の途次である。

8. 入り身・転換

あらゆる技に繋がる基本動作の一つ。解説本には、【相手の攻撃をかわすと同時に、相手の死角に踏み込んでいく「入り身」。相手の攻撃を円く捌き、方向を変えることなく導き流す「転換」。どちらも無駄な力を使わずに相手を制する合気道独特の技】と言われている。この「導き流す」「死角に踏み込む」という難しさ。初心者ならずとも、流れを止めてしまうことが多々ある。取りは、「受けの気」を感じとり、その気を「取りの気」がどのように受けに感じさせて「崩して捌く」か、「捌ける」か。今初心者に伝えられるのは、技の名称、逆半身・合い半身、自身の動き方、手足の同調と供応、相手の関節の制御、重心の移動などの入り口。この先は一緒の稽古の中で共に学んでいけるとよい。 (上記4,の「気」の欄も参照)

9. 天地投げ

 座位呼吸法の両手手刀の同調した同様の動きのある基本の立ち技である。最初から両手の同調は難しさがある。「地」の足と手の同調する「隅落とし」(崩し)を学んでから、両手手刀の同調に移れば形は覚えやすいが、投げることを目的とするよりも、呼吸力を表現する技と思って稽古することで、呼吸力の技に近づける。毎回の稽古の中に指導者から説明されており、学ぶ機会が多い技なので、初心者には、より意識することを伝えたい。後ろ受身になる技なので、初心者には安全に配慮したい。

 

以上、シニア世代の初心者に、雑駁な思いですが、稽古を通して伝えられればと思っています。初心者は、見よう見まねでも一つの技が出来ると、理に適った技にはほど遠くても内心は嬉しいものです。まして上級者や有段者、先生からの言葉掛け、実地指導はなお嬉しいものです。そして稽古仲間との交流、それ等が合気道に親しみ、楽しさを覚える支えにもなり、身体の鍛練にもなり、心身の健康作りになっています。そして高齢初心者には長く取り組まれることを思うのは、私の励みにもなるからです。

 

私のマイペースな稽古は、初心者向きかと思います。先にも述べましたが、普段の稽古でも息が上がる時があり、途中、小休止をしたりで皆さんに余計な気遣いをさせてしまっています。これからの稽古は、コロナ禍での「気の流れを意識した稽古」を再認識し、「柔」に通ずる中野先生が先年、宿題に提起された指導「ぶつかって・ぶつからない」稽古をより意識して取り組むことを目標に、もう一年・もう一年と武道館へ通えることを願っていますので、皆さん稽古をよろしくお願いします。

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2020年

12月

31日

田部修士さん 四段審査小論文20201220

令和2年12月 合気道4段昇段試験に臨んで

 平成14年の夏に健康の為にと家内と始めた合気道ですが、稽古を重ねる内に偶には少し分かったつもりになることもあったりして、段々と生活の中における合気道の比重が高くなっていました。以来長年に渡ってご指導いただく先生方並びに道場の稽古仲間の皆様のお世話になって、いつの間にか古希を超えていました。

 幸徳会修養塾は基本技を中心とし、“稽古は鍛錬である”と合気道の体つくりも考えた練習をして頂いております。同時に“円相の流れに沿った無理のない技”を繰り返し指導頂き、それが出来るようになれば長く合気道を続けることができると鼓舞されて稽古を続けています。

 ところで、段々と上に上がるにつけ人の見る目も変わり、と同時に自分の責任もそれまでとは同じではなくなりますので、一層稽古に励まなければと思っている次第です。

 また、折角教わってきた合気道ですから、自分の為だけでなく、何かに他にも役立てることが出来ないものか、そうなれば多少なりとも身に着けたと言えるのではないかと考えます。  

 道場では、合気道を始めようと訪ねてくる初心者の方に合気道の楽しさを知ってもらい、道場の仲間と楽しく稽古に取り組む手伝い等も出来れば思っています。

 こうしたことを考えながら、この機会に指導頂いてきた基本的所作等を振り返り、ともすると我流に陥りがちな自らの稽古に臨む戒めにしたいとパソコンに向かいました。

  道場の仲間と怪我もなく充実した稽古ができることが一番ですが、自身では自然で無駄のない美しい合気道を目指して稽古を続けたいと考えています。

1、姿勢のこと

 武士道に由来する小笠原流礼法等に見られる美しい立ち居振る舞いは、袴を着けて稽古する合気道にも通じるところがあると思いますが、私も稽古で中心が定まった美しい姿勢を保つことができる様になりたいと思っています。

 偶々NHKの新日本紀行で春日大社の若い巫女さん達が“巫女舞の稽古”をする場面がありました。若い巫女さん達は、より美しく舞いたいと手首を曲げたり、手の位置を変えたり工夫をしますが、途端に先輩巫女さんの指導が入ります。春日大社ですから1200年以上の歴史をかけ“自然で無駄のない巫女舞”が出来上がったものと思います。若い巫女さん達も稽古の積み重ねで、いつかそれを悟る様になると説明をされていました。

 私は入身転換等でつい前かがみになる悪い癖を度々指摘され反省していますが、自分の姿は他の人に指摘して頂かないことにはなかなか分らないものです。体に染みた悪癖を直すのは大変で、相当な稽古の積み重ねしかないですね。きちんとした体裁きと足の運びで姿勢が崩れないよう稽古で身に着けたいと思います。

 余談ですが、家内に勧められて読んでいる“鬼滅の刃”は現在16巻まできましたが、その冒頭に、「最も重要なのは体の中心・・・足腰である。強靭な足腰で体を安定させることは正確な攻撃と崩れぬ防御へと繋がる」との台詞がありましたので書き留めました。

 

2.稽古のこと

 合気道は型稽古の連続ですが、いくら形を覚えても馴合いでいるといざと云う時には役に立たないものですね。稽古は上級者・初心者、体の大きな人・小さい人、力の強い人・弱い人、男性・女性と相手も様々ですが、先生はどなたと組んで全く同じように技をかけられます。

 背の低い人と組む場合等でも、よく見ると先生と相手の方の顔の高さがあまり変わりません。きわめて自然に見える為に言われてみないとなかなか気付かないものです。行うは難しですが、相手に合わせて稽古する姿勢は学んで行きたいと思います。

 また、武道は、“間合いと残心が大切”と言われます。間合いは相手の方との距離のことで何となく分かりますが、残心は分かったようで分からないので調べてみると、“一つの技が終わって力は抜いても相手や技に意識を払い続けること、残心は日本の美意識である”と書かれており何となく納得しました。

 家内の独り言ではありますが「先生の技はワーっと体が持上げられる、トルネードみたい・・」と良く言います。皆さんも感じていると思いますが、先生の技は中心に巻込まれたり、遠心力で外に投げられる様な気がします。また、時には受けをとって頂きますが、その受けもぐいぐい相手の中心に向かい、少しでも遅れをとるといつのまにか立場が逆転しています。要は、取りも受けもお互い気を合わせて切磋琢磨することが良い稽古に繋がっていくものと思います。

 稽古で「手を引っ張るな」「居つかないで」とよく指導されます。「次にくる技を予測して受けをとる」とも教っていますが、実際は技の中でお互いが攻防をしているわけで、形を覚えるだけでなくきちんと受けをとる稽古も実に大切です。 

 更に、稽古では表裏左右と一つの技で4回の動作があります。その一連の4つの技が終わるまで相手としっかりと気を繋ぐことも、鍛錬にもなり良い稽古に繋がると思い心掛けています。

 

3、技のこと

 師範演武を拝見すると、間合い等その時々の状況によって自然に技を出されます。演武ですから多少は事前打合せもあると思いますが、いざとなると状況に応じて違う技に入ったりされているようです。そこにまで行きつくのは至難で相当の時間も掛かります。 

 私には、きちんとした技が出せる様になる為に、技の前に心掛けておくべきことがある様に考えていますので、そのことについて2点を書き添えました。

・久し振りに剣杖の稽古をやり、剣杖の稽古は当身と体裁きを練習するのに大変有効であると思いました。いざやってみると、先に剣杖を掴みにかかるもので、手がバタバタとみっともない動きになります。技を掛ける前に、まず体裁きや当身で受けを裁き、一呼吸を置いてから技をかける余裕が実に大事と反省しています。

・また、“指は真っ直ぐ伸ばし、親指を立てて始動し、小指から上げる。腕を上げる場合は腕全体を張って指の動きに連れて肘が少し前に出る動きが大事”と教わっています。細かい所作ですが、この動作は実にあらゆる技に通じているものでしっかりと身に着けたいものです。 

 思い切り手の指を開く動作は、気を出す上でも重要な動作と考えています。まだ他にも沢山やるべきことがあるとは思いますが、まずは気を出しきちんと体裁きをして技に入る態勢をとること、そうすることで技が楽に出せる様になるのではと考えています。

 最後に、合気道は争わない武道とか和合の道とか言われます。日頃は技の練習にばかり熱中して、心の修練までにはなかなか意識が行かないものですが、合気道を通して精神的な部分も学んで行きたいものと考えています。気を通じることは“心が通う”ことにも通じますので、合気道は日常生活にも様々と生かせる武道であると思います。

 幸徳会の合気道談義で先生が新渡戸稲造の「武士道」を紹介されていますが、それは侍が去った明治時代に武士の道徳・作法を伝える「武士道」を継承するもので、その後の日本人の精神性にも大きな影響を残しています。

 英語で出版されたこの本は、セオドア・ルーズベルト大統領が大変な感銘を受けて、我が子だけでなく上下両院の議員にも「この高尚な武士道の思想は我々アメリカ人も学ぶべきである」と読ませたそうです。 

 この新渡戸稲造が後に“これからの日本を背負う若者に”と残された本が「修養」です。幸徳会修養塾の“修養”ですね。調べると“修養とは知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成に努めること”と書かれています。

 その意味と修養塾と命名された先生の思いも考えながら、これから先も長く合気道を続け、その合気道を通じて得るものを何か他の事にも役に立てることが出来ないものかと考えています。一朝一夕にはできませんが、少しでも長く稽古に励んでいきたいと思っています。

 

 今後ともよろしくお願いします。

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2020年

12月

31日

松崎尚也さん 四段審査小論文20201220

合気道の今後の目標

本来武道は、向かってくる敵を制することが目的である。

相手を動けなくする、すなわち無力化すること。最善は、命を取る、つまり殺すことである。開祖は殺伐とした明治、大正、昭和の激動時代に幾多の修羅場をくぐり抜けて来られた。その結論として、殺人技を目的とせず、平和、共生を目的とした境地を目指し、その境地に達された。「対すれば和す」自分を殺そうとやって来た者と、打ち解け共に相和すということという。この思想は、世界中に受け入れられて、広まりつつある。

 柔道も、柔よく剛を制す。精力善用、自他共栄を理念として創始されたが試合をして勝敗を決する道に進んだ結果、創始者の理念とかけ離れてしまったように思われる。

合気道は試合を行わず。もっぱら型稽古を繰り返し繰り返し行う。型は、秘伝の塊であり、非常に危険なものを秘めているようだ。私は、後期高齢者になり、老いるという未知の世界に入ったことで、合気道における技は、ぶつからない柔らかな方向を目指したい。相手に気を合わせ、技を掛けることを目標にしたい。

 次に、相手の呼吸と体に着いていく受け身を目指したい。私は、受けこそ重要と考える。怪我を防ぐためだけではなく、受け身をとることで、掛けられた技の狙う体の部位と、方向、強さ、いろいろな事がわかる。自身の体は柔軟性を増し、血流がより円滑になり、気は爽快になり、回数を増やせば持久力も高まる。なによりも、蹴躓いて足首の捻挫をしなくなったし、転ばなくなった。

 合気道の技は、人によってかなり違うようだ。それは開祖の教えを受けた方々の年代もあるし、体格も違うし、技の解釈の違いもあると推察される。殊に女性への普及は、より安全性を求める技、乃至受けの対応が見られる。しかし、共通して言えることは、どの師範の技も力がぶつからない。

ふわっとした感じで、例えるなら空気に撫でられて、気が付いたら地に転がらされている、という感覚である。故に投げ飛ばされても、とても楽しい。

 

 夢のような目標をもって少ない時間を送りたい。

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平成29年(2017年) 新年のご挨拶

 

新年明けましておめでとうございます。2017年の年頭に当たり、謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

昨年後半は9月末に高崎で4年に一度の国際大会が開かれたほか、10月には例年通りの幸徳会合宿、川崎市連盟の演武会、富士通主催の演武会と続き、また、幸徳会内での危機管理マニュアル作成、年末の審査会と立て続けに色々な事をこなす必要がありましたが、皆様のご協力のお陰を持ちまして、滞りなく終えることができました。
皆さんが幸徳会の活動にご理解とその意義を感じて下さり、少しずつでも協力してその運営を支えて下さったおかげだと思っています。本当にありがとうございました。

年末の審査などを受けて、幸徳会の名簿を整理し、人員構成についてホームページを更新しました。幸徳会の中の状況もずいぶんと変わってきたなぁと思いました。そこで、幸徳会をどういう方向に持って行けば良いのかということについて、私なりに少し考えてみましたので、年頭に当たって皆さんと課題と方向性について共有したいと思います。

1.幸徳会としての取組みについて

3年前までは、幸徳会全体として一般部と少年部の比率が7:3くらいで一般部のほうが多かったのですが、現在では、5:5という状況に変わってきています。全体の人数はほぼ変わりませんので、その構成比が大きく変化してきていると言えます。

一般部は、古くから続けておられる方はずっと継続されていますが、比較的新しい方が続きません。最近は、新しい方の入門も全体的に少なくなってきているように思います。ですので、年代構成がそのまま後ろにシフトしている状態となっています。その結果、一般部のほとんどが黒帯になってしまって、初めて入ってくる方には敷居が高くなってしまっていないかと少し考えてしまいます。
15年前が同じような状況でしたが、当時は大人の初心者教室入門者の方が多くいましたので、その方々をうまく取り込んで、この状態を乗り越えてきました。しかし、現在は初心者教室の入門者は子供が中心となってしまっていますので、同じような方策も取れないでしょう。
合気道に限らず日本の50歳代以下の世代のスポーツ人口というのは年々低下傾向だということですので、一般部は当面、厳しい状況が続くと思います。

少年部は、ここ数年、爆発的に入門者数が多く、中学生になるとやめてしまう子が多い中で、それにも増して入門者が多く増加傾向です。年齢別にもまんべんなく人員が構成されています。少年部は人数が多いのですが、常に初心者に合わせた稽古にならざるを得なくなるので、年長者の技のレベルが上がってこないという弊害が出てしまいます。
年長者からしてみると、中学生くらいで低学年の小学生と組まされたら、興味を継続できないでしょうし、一般部に行っても敷居が高すぎて、チャレンジはしてみても続かないということになってしまっているのではないかと感じることがあります。

現在、少年部の小学5年生以上の子供達は名簿上で23名おります。全体の半分弱、この子たちの合気道に対する技術レベルと向上心を高めて、一般部へうまくつなげていけるようなことができないかなぁと思います。いつもいつもやめさせてしまっていることがもったいないと思うようになりました。
今は指導者が2名体制になっていますので、まずは少年部を年少組と年長組に分けて稽古ができるようにならないかと思っています。審査会、演武会のレベルアップにもつながります。これまでは、初心者対策に頭が傾倒していたように思いますが、この子供から大人へ移行する中間層に焦点を当てて、やめてしまう子に歯止めが掛けられるのであれば、一般部にもつながりが出てきます。指導部として検討して行きたいと思います。

一般部は、年長者の方でも怪我をしないで長く続けられる技の有り方、より柔らかい身体の使い方に変えて行くこと、また昨年作りました危機管理マニュアルを生かして、皆で未然に事故を防止したり、万が一事故が発生した場合にもすみやかに誰もが行動できるように実践しき行きたいと思います。中長期的には、初心者を対象とした講座ができないか検討してみたいと思っています。


2.稽古法について

年長者の方でも怪我をしないで長く続けられるようにするために、気の流れ意識した無理のない稽古法について取り組みたいと思います。そのポイントとなるのが「手」の使い方です。「手」の使い方について是非考えて見てほしいと思います。

手は親指で気を起こし、小指側を十分に張り出すようにして、身体中に気がめぐるように使います。親指が起きてこないと腕がまっすぐに伸び切ってしまうため、気をめぐらすように使うことができなくなります。また、親指で気を起すようにしても、そのあとが上腕筋を使うような動きになるとダメです。小指側の側面が張り出して、肘が前に出て行くような動きとなり、手・腕の形が自然と円相を描くようになるのが良い形です。
普通の方は、相手の力に当たると、この上腕筋に力を込めたり、腕を棒にして肩に力に繋げてしまいます。この形をいくらやっても上手くなりません。特にご年配の方だと、見ていて怪我をしないか心配になります。

肘が前に出るようになると、自然と肩の力は抜けてきます。腰からの力を、姿勢をまっすぐにすることで背中を通して、肘につなげ、その力が肘から小指の側面に繋がって行くようにできると、全然これまでと違ってきます。身体の力の使い方が、普通の使い方とは変わってくるのです。

うまくできるようになるには時間が掛かりますが、しかし、この気付きの起点となるのが、やっぱり「手」だと思うんですね。「手」の使い方っていうのはとても大切なんです。稽古を見ていると、ほとんどの人の手はうまく使われているように見えません。
だから、持たれた部分のみが起点となってしまって、指先に気が通っていかないんです。そして、いつも上腕筋や肩に頼るしかない状況に追い込まれてしまいます。とっても悪循環です。早く気付いてほしいと思います。

合気道の稽古は、ただこなすのではなく、自分の課題を見つけて、これを解決するために何らかの方向性を出して試してみるためにあります。自分の頭で考えたことを自分の身体を使って試してみる。その結果を受けてまた考え直して試してみる、この繰り返ししかないんです。そうやって自分と対峙して螺旋上に少しずつ進むしかありえません。
螺旋というのは、横から見ると確実に上に登って行きますが、上から見るとグルグルと回っているだけにしか見えない。でも一旦やってみて戻ったとしても、それは前と同じではないはずです。そうして施行錯誤しながら進むことで、見えなかったもの、気づかなかったものが見えてくるようになってくるんだと思うのです。そうやって自分で一つずつ答えを出して行くことによって、自信も持てるようになって行きますし、何より楽しくなります。

稽古をしているとフッとひらめくこと、気づくことがあります。また、今までも言われていたことかもしれないのに、それまで気にも留めずにいたことがはっきり意味のあるものとしてわかるようになることがあります。これまで考えてもいなかったけれど、稽古でこういうことができた。これを発展させていった方がいいのではないか、と稽古の中から副産物的に生まれてくる発想もあります。
これらは稽古をしているからこそ、自分がある段階になったことでわかるようになったのであって、稽古をしていなければ、いつまで経ってもわからない、気づくことはできなかったのです。だから根底には稽古が無いとダメなんです。頭だけでいくら考えてもダメだし、ただ身体を動かしていてもダメなんです。

探さなくても課題はいくらでもありますよね。しかし、あせらずに1つ1つ課題と向き合って、詰め将棋と同じように稽古を通じて解決して行きましょう。
仕事と違って間違ったって何のリスクもないんです。みんなで考えて行きましょう。そこに合気道の楽しさがあります。




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