櫻井正元さん 四段審査小論文20201220

高齢初心者の稽古について

初めに

 スポーツ経験の殆ど無いシニア世代の初心者にとって、合気道稽古のイロハは解りがたいものが多い。私自身を例にあげると、最初は「立てばフラつき、座ればすぐ立ち上がれず、出るのは右足が先?左足が先?」「前受身は頭や肩を打ち、後ろ受身でも頭を打ち斜めに転がって立ち上がれば目が回る」小中学校時代に習った「前転・後転」とはまた違う動きに戸惑うばかり。どうして「クルッ」と廻れるのか、すぐ立ち上がりフラつきも無く安定出来るのだろうか。取りと受けの稽古に入ると、解らないうちに投げられている。自分が取りになると受けは動かない。「腕の力で投げている」「肩の力を抜いて」「脱力とは違うよ」と言われても、感じが掴めず硬い身体が益々固まってゆく。内心は、投げられる怖さもありました。

当初は先生の示範指導の動きの流れが解らず戸惑うばかりでしたが、周囲の方達からの部分々々の手と足の動き、体幹の動き等を色々教えて頂き、入り身・転換・膝行プラス基本技(正面打ち第一教・入り身投げ、片手取り四方投げ、呼吸法など)の習得には「今日は何の技を」と毎回の目標を持つ良いと。また解説本を貸して下さったり、DVDを提供して頂いたり、幸徳会の皆さんや白帯の同期の方達からも温かく接して頂いたことは、シニア年齢だった私にとって安堵と励みになり稽古に通うことが出来ました。少しずつ体が動けるようになると、稽古に面白さを覚え、先生方の丁寧な示範指導の動きや説明、合気道談義が頭の中に入るようになって行きました。また先生や有段者からの相対での実技指導は感覚としても残り、誘われるような、包み込まれるような、取りに抗えずにいる受けの自分、動かされている受けの自分。覚えた技にも、また新たな発見がある楽しさ。「受けを知って、取りを知る」と中野先生の教えに、合気道の奥深さの一端を学ばさせて頂いて来ました。

現在は、歳も重ね自分なりのマイペースで稽古をさせて頂いています。稽古日の道のりも、以前より疲労感はありますが、まだ苦にはなっていません。稽古仲間がいるということは高齢者にとっては「外へ出る機会でもあり、いつもの顔を見、いつもの会話をする。」みな励みになっているからです。いずれ、身の退くその日が来るでしょうが、それまでは剛の稽古は出来ませんが、柔の稽古に付き合って頂ければ幸いです。 

長寿社会の現代、高齢者のセカンドライフの一つに合気道を選択して石川武道館に来られた方が、私と同じような「驚きや疑問や不安」を、中には「やりたいけれど、自分には無理かな」の思いをされている方もいるでしょう。初心者に合気道の面白さを知ってもらえるよう、長続きするよう、迷惑にならない範囲で言葉を掛け、先輩諸氏から学び得たことを伝えていければと思っています。

さて、シニア世代、とりわけスポーツの継続的経験の殆ど無い高齢者の運動能力面での特徴と言いますと、

  身体が硬く柔軟性に乏しい、実は体を動かすことが苦手。

  足腰(下半身)と手と腕(上体)、顔の動きの同調性が減退している。日常生活の中には気づかないけど同調性のある動きがある。身近なのは「靴下の脱ぎ履き、片付け掃除や台所仕事、自動車・自転車の運転等」には眼と手足、体幹の同調・供応作業がある。電車の揺れに同調出来ずにヨロケてしまう経験等は皆あるでしょう。一つに下半身の安定力や背筋力等からのバランス力を保つ機能の衰えがあるからだろうと思います。

  腕力に頼りがち。

  歩行の歩幅が狭い傾向にある。結果、歩くスピードが遅くなってきている。

  普段の生活では身体の軸や重心、姿勢を意識したことが無く、稽古での不安定さが露わになる。

  経験したことの無い未知のことに対して、対応できない不安感(怖さ)がある。

  物忘れが来ていると感じている。

以上は、老化現象の一般的な事柄ですが、上記の②や⑤に関係する特質で、自分でも気づかずに潜在し進行している場合や傾向があることです。それは「ワーキングメモリー」と言って、初期段階の認知や記憶の定着が語彙数や言語活動の減退から、スムースに理解受容⇒【音声→言語+視覚→記憶→定着→理解整理→行動→般化】⇒できない前頭葉・側頭葉の働きの症例を言い、つまり最初の聞き取りや視認の『記憶・定着への初期処理能力』に遅れ(時間差)があると言うことです。この行動心理現象が老化による機能の減退症状にも似て当てはまるそうです。この初期処理能力がスムースに理解整理できれば、次の行動へ速やかに移れると言うことです。

かく言う私自身も減退傾向にあると自認しています。マイペースの稽古に為りがちなのもそれ故です。進行を止めることは出来ないまでも、緩やかにするには刺激だけでなく【コミュニケーションや目的のある生活、何等かの役に立っている意識の持てる生活、笑いがあり、リズムのある生活】をして行くのが重要だろうと思っています。いや、そう言われています(認知症対策ですね・・)。シニア世代、高齢者にも個人差があり、皆そうだとは言えません。しっかりした人もたくさんいます。ただ歳を重ねるほど意識と体力は、並行して行きません。

合気道の稽古では、示範指導された技を両者で相互に繰り返し稽古することで、習得されていくものですから、「若い方や経験の深い有段者」との違いがここに出てくるわけです。特に②の手足の同調性・供応のある動きを生じさせる基となる身体の軸や気の流れを意識した動きは「体捌き・崩し」に顕著に表れてくると言えるからです。そこで、高齢初心者が合気道に親しんでもらいたく、毎回の繰り返す稽古の中で「記憶・定着」し、次の行動に移りやすくなるように。また、幸徳会の皆さんには、シニア世代、高齢初心者の特徴を今以上に知って頂きたく、気になることがあれば、これまで同様にフォローして頂ければと思います。次に、先生諸氏・先輩諸氏の教えを私なりにリメークしてみました。

1.「礼」の大切さと観察眼

 相手の存在や心を尊敬することで、独り相撲にならないよう気配りをすることで相

 に充実した稽古になり、次に繋げていける。「先生の示範指導」や仲間の稽古は、見取り稽古と同じ。一点集中の観察眼を養う場になる。指導者の示範は横並び、縦並び、部分の動きと個々丁寧に実技を示範してくれているので、先ずは「取り」の手の動き、足の動き、全身の動きとに分解して観察できるとよい。実際の繰り返し稽古の中で、どのように動いて技の形になっているのかを順序立てて記憶・定着すればイメージトレーニングも出来る。高齢者に関わらず「初心者は全体像」を見がちなので、上級者からは稽古の中で「Q&A」や個々の「出来ているところ、修正するところ」など、初心者本人の理解に会わせた言葉掛けが出来るとよい。

グループ分けも考慮できるとよい。

2.フラつかない立位の姿勢

「身体の中心は臍下丹田にあり」臍下を「軸」として、常に身体の正面を意識した動きを意識する。軸を意識できれば、「身体には重み」があることも意識できるようになる。この重みを如何に利用し、安定感のある技に活かしていけるかに繋がっていく。立位姿勢の基本に「半身の構え」がある。安定した姿勢であり、前後左右に動ける姿勢でもある。畳の境目を利用して確認することができる。(上記1,とのつながり)

3.「力を抜く」のは誰にでもできるのか

   脱力ではないと言われ、意識すると返って迷ってしまう。要は「自然体」のことと理解して良いのではないか。これなら脱力はしていない。「自然体」は、高齢者には経験上から案外理解(環境にもよるが、完全休めの姿勢ではなく、力まずに心が何かに集中している姿勢でもある)できる言葉であり、その状態を作れるものである。この自然体に軸や重みを意識すれば「気」を意識する基ができる。この先が難解であり、稽古の繰り返しによって習得・体得に繋がっていくものなる。

4.「気」とは何か

 ・一つは「合気」の字面から、取りと受けの気を合わす。と言って馴れ合いのようにしてはならない。ここには相互の緊張感があって、気の流れ(両者の気持ちの和)を意識した稽古をすることで、技の理解習得へ繋がっている。

例:正面打ち入り身投げ、片手取り四方投げ⇒「ぶつかって、ぶつからない」⇒受けとの接点の間を言い、受けの気をぶつからずに導き(崩し)流し、取りの守備範囲に取り込み(合体する)円運動に乗せて捌いて行く⇒実際には難しいが初心者にも目標になる。(合気道談義から)

 ・二つに、天と地の云々・・・・・・・・、難解なので省略します。

 ・三つ目を考えた。「気を締める」「気を緩める」という、相反する言葉がある。自然体であっても「体捌き」「崩し」ができる「隙のない姿勢」を作るには、身体全体にみなぎる「気魄・気迫・気概・覇気・眼力」とかがすぐ浮かぶ。確かに真剣勝負とか一球入魂などの言葉通り、ことに向かっての気持ちを表している。しかし、合気道の気の理解には筋肉的で「剛」すぎる。それなら「身体を締める・身体を緩める」気の持ち方の方が相応しい。ならば、筋肉よりも柔らかい関節(指先・手首・肘・腰・首・顔・肩・膝・足首・足先)のことと理解したい。この関節の締め具合、ゆるめ具合、向き方で身体の動きに方向と柔軟さ重みが出て来、動きに幅が出来、応用力も期待できる。これを意識下に置くことで「気」の仲間と考えてみた。よって「気」は、自分の身体全体を自己の意識下に生じるもの、生じさせるものと言えるのかも知れない。「気骨」「気力」はそれに近いとも言える。では行動や意欲をかき立てる「何々をする、何々をしたい、~をして欲しい」気持ちの「気」もある。これは意識ではなく「意思・意志」で、合気道でいう気には当てはまらないのか、否やはり気であると思う。 

 ・もう一つ、「気が張る」「気張って」という言葉がある。これも合気道で言う「気」なのか? 人は気が張ると何故か「力」(例:火事場の馬鹿力・頑張る)を出す。時に我を忘れないような「平常心」の言葉もある。合気道は力で相手を圧倒するものではない。さすれば、この気の出方は、合気道で言う「気」ではないことになる。でも気である。

5. ところで全身に「気を溜める」ことは出来ないのだろうか。よく腹式呼吸(例:ロングブレストレーニング)が良いと医師やトレーナーが述べている。腹式呼吸で溜めた呼気が全身に行き渡らせられれば「気の力」の基になる。そんな本を読んだことがあり、なんて思う時がある。人の生活、生き方や職業の中には様々な気が存在している。他の武道にもスポーツにも。善悪の気、呑気も? 中には生臭いものや殺気、煩悩もあろうが、互いを理解する心を持つことで生活が、社会(の秩序・ルール)が成り立っていることからも、合気道の気も、そのような気に共通したものではないだろうか。結局、初心者に問われた時は「稽古を積み重ねることが教えてくれるでしょう」「何事も振り返ったときに答が出る」の平易な応答になるか。開祖が歩んだ道のりの中で開眼された精神性にたどり着くには、はるかに遠い遠い先のこと。これは呼吸法と併せて理解したい。

6. 受身

どの解説本も受身の最初には必ず「後ろ(反転)受身」が出てくる。次が「前方回転受身」。初心者には後ろの方が怖い思いがするが、先生から、膝から足を折って後ろに甲を着地させ、尻・腰・背中と斜めに接地すれば安全な受身が出来る。初心者は後ろ受身の練習から始めた方が良いと伺った。後方回転受身が出来れば、前方受身に応用できる。前方受身は手の着地が出来れば頭を中に入れて背中から腰へ斜めに滑らかに接地させ、丸く廻れば安全に出来るので段階を踏むと良いと。安全第一だと。確かに前方受身は取りから反動(スナップ)を付けて投げられると自分の予測よりも前に出るので、実際、頭を打ったり肩を打ったりすることがある。稽古では、怖さのある受身にならないよう高齢初心者の安全と基本に時間を割いてやれると良いと思う。 

7. 呼吸法

解説本には、単に鼻や口からの呼吸を言うのではなく稽古の修練によって発揮される全身統一される力で「呼吸力」と呼んでいるとある。

稽古の最後に必ず「座位の呼吸法」があり、馴染みやすいが、簡易な技法ではない。座り技・立ち技と多種あるが、身体全体の力を集中させて発揮させる呼吸力は気の発揮ともなる。先ずは基本形があるので、それに倣って稽古の繰り返しの中で習得できるように伝えたい。私も習得の途次である。

8. 入り身・転換

あらゆる技に繋がる基本動作の一つ。解説本には、【相手の攻撃をかわすと同時に、相手の死角に踏み込んでいく「入り身」。相手の攻撃を円く捌き、方向を変えることなく導き流す「転換」。どちらも無駄な力を使わずに相手を制する合気道独特の技】と言われている。この「導き流す」「死角に踏み込む」という難しさ。初心者ならずとも、流れを止めてしまうことが多々ある。取りは、「受けの気」を感じとり、その気を「取りの気」がどのように受けに感じさせて「崩して捌く」か、「捌ける」か。今初心者に伝えられるのは、技の名称、逆半身・合い半身、自身の動き方、手足の同調と供応、相手の関節の制御、重心の移動などの入り口。この先は一緒の稽古の中で共に学んでいけるとよい。 (上記4,の「気」の欄も参照)

9. 天地投げ

 座位呼吸法の両手手刀の同調した同様の動きのある基本の立ち技である。最初から両手の同調は難しさがある。「地」の足と手の同調する「隅落とし」(崩し)を学んでから、両手手刀の同調に移れば形は覚えやすいが、投げることを目的とするよりも、呼吸力を表現する技と思って稽古することで、呼吸力の技に近づける。毎回の稽古の中に指導者から説明されており、学ぶ機会が多い技なので、初心者には、より意識することを伝えたい。後ろ受身になる技なので、初心者には安全に配慮したい。

 

以上、シニア世代の初心者に、雑駁な思いですが、稽古を通して伝えられればと思っています。初心者は、見よう見まねでも一つの技が出来ると、理に適った技にはほど遠くても内心は嬉しいものです。まして上級者や有段者、先生からの言葉掛け、実地指導はなお嬉しいものです。そして稽古仲間との交流、それ等が合気道に親しみ、楽しさを覚える支えにもなり、身体の鍛練にもなり、心身の健康作りになっています。そして高齢初心者には長く取り組まれることを思うのは、私の励みにもなるからです。

 

私のマイペースな稽古は、初心者向きかと思います。先にも述べましたが、普段の稽古でも息が上がる時があり、途中、小休止をしたりで皆さんに余計な気遣いをさせてしまっています。これからの稽古は、コロナ禍での「気の流れを意識した稽古」を再認識し、「柔」に通ずる中野先生が先年、宿題に提起された指導「ぶつかって・ぶつからない」稽古をより意識して取り組むことを目標に、もう一年・もう一年と武道館へ通えることを願っていますので、皆さん稽古をよろしくお願いします。


概要 | プライバシーポリシー | サイトマップ
Copyright©2017 合気道幸徳会 All Rights Reserved.