初段の方へ

春の陽気が漂い始めて稽古をするには良い季節になってきました。準備運動、整理運動をしっかりとやってけがをしないように心がけて下さい。私も昨年から腰痛に悩まされ、整理運動で腰の回りの筋肉をほぐすようにしています。40歳を過ぎるころから、いつもと同じ稽古をしていても油断すると色々なものが出てきますので要注意です。特に私よりも年齢の高い稽古熱心な皆様、ご注意下さい。

今日は、最近少しづつ増えて参りました初段の方々のために、少し思うところを述べたいと思います。
初段というのは、一通りの基本技の形を体で覚えはじめ、やっと合気道を学ぶ入り口にさしかかった状態です。
なぜなら、もう基本技の形を誰かに教えてもらう必要がなくなったからです。ではこれから一体何を学べばいいのでしょうか。ここが重要なところです。
初段になったからといって、技の形ができるようになっただけで、型の理解ができたわけでもなく、技が使えるようになったわけではないのです。まずはここのところを正面から受けとめるべきです。

■型の持つ意味を自分なりに考え、理解を深めること。

型というのは一定のルールで動くことでその形を覚えるわけですが、その状況に応じて動き方が変わってしまったりします。1つの型の中でも、色々なポイントで動き方が変わってしまったことを想定して、その時々の対応を考える必要があります。考えて試してみる。ポイントとなる部分が多すぎて、詰め将棋よりも大変な作業ですが、そうやっているうちに、体がこれを覚えはじめ、色々ごしゃごしゃとやったようで、実は本質的な部分が見えてきたりします。そしてそれが型の持つ意味を自分なりに理解することに繋がってくるわけです。黒帯になったら、そこをお互いに感じ合うような稽古が必要です。これは何も考えずにもくもくと稽古していても何も見えてきません。馴れ合いの稽古では何も生まれません。疑問を持ったらこれを自分で解決するまで行なうことです。自分なりに解決していくことが大切なことで、その答えをすぐ聞き出そうとする姿勢では、もっと大きな課題にこれからぶち当たってしまった時にこれを乗り越える力が身につきません。

■呼吸力を養成すること。

合気技というからには、常人ではできないことができるから「技」と言うのであって、初心者でもできるようなことならば、技とは言えないでしょう。技というのは、小手先の動きを覚えることが全てではないのです。ましてや、ずっとやっているうちに目に見えない力が「気」となって出てくるような超能力でもありません。
合気道は呼吸力や体裁きによって、相手を崩して技を掛けます。ここが柔道と違いますが、崩しがなければ技が掛からないという部分は同じです。この「呼吸力」を養うこと、これもまた重要です。
この表現でもまだ曖昧さを残しているのですが、呼吸力というのは総合力で、力が相手に作用する方向、出し方、使う筋肉に至るまでを指しています。付けたしますが、手だけではありません。手に力を伝える肘、背中、腰から足先まで繋がっていなければなりません。
この呼吸力が養われなければ、相手を崩すことができません。日常生活では使っていなかった筋肉部分も活性化しなければ、呼吸力というのは養成できないのです。
自分が日常生活でしか使っていない力を前提として組立てようとしても、無理が出てくるということ。もっと広い視野で考えて行く必要もあるのです。こういうものが備わってくるからこそ、技といえるのではないでしょうか。相手に十分な力を出させず、しかし自分の力が十分に出て相手に伝わるためにはどうしたらいいのか、もっと違う力の出し方があるのではないかと、私はいつもこのようなことを考えています。

■体をつくる意識をすること。
 
無駄な力を使うと体が崩れ、逆に崩される隙を作りますし、体力も消耗します。大抵の場合、足が十分に使われていないから、体が前かがみになって上体の力に頼ってしまったり、船漕ぎ運動の引いた体制ができていないから、崩れてしまったりします。これは、技を掛けようとする意識はあっても、「体」というものに意識がないからか、足腰が弱いからかどちらかの場合だと思います。
肩に力がはいるのは、上体に頼っているからで、ただ肩の力を抜けといっても、根本的なところを導かなければ、力を抜くこと自体に無理があるのです。
常に姿勢はまっすぐな状態で、最後に正座するところまで、丹田にストンと落ちるような感覚を持てる状態であることが望ましいわけです。
そのためには、自分の中心線上で手が上下して円弧を描けるようになることが大切で、その中心が丹田ということになっていなければいけない。これができるようになるためには、自分にもう一度向き直って、足の位置がその時々で正しい位置にあるのかということと、体捌き、特に入り身についてしっかりと考え直す必要があります。基本に常に返って考え直すことが大切なことです。
入り身というのは、中心線上で上がった手を体を向き直してそのまま中心線上に下ろすことで、体捌きもさることながら、このつなぎの部分が切れずに無理なく行なえなければならないのです。
 
■間合いとタイミングと気の流れる方向を考えて養うこと。

相手との間合い、相手の動きをつかんで自分が動けることが重要です。相手が動き出してから受けて動くのでは感を養うことができません。相手と気持ちを切らず、相手の気持ちをつかむことをあきらめずに行なうことが大切です。相手の気の流れがどちらに向かっているのかで、それに対する技の対処も変わります。

以上のようなことを意識しながら、稽古を積み重ねること。どうですか?これだけでも考えて作っていかなければならないことが一杯あるでしょう。体術のこれだけでもとても1年や2年で解決できることではないでしょう。私は30年掛けてやってきてわかってきたのですから。
私の場合には、こういうアドバイスをしてもらえる先生が身近にいなかったのです。しかしだからこそ考える癖がついたのかもしれず、色々な先生に触れた場合には、盗んでやろうと思っていました。何かひらめくものがあれば試してみる、真似してみる。頭だけでは何も生まれず、やってみてひらめくこともある。ボソッと言った師範の言葉はその手がかりとして意味が判らなくても覚えておく。力が付いた時だからこそその言葉からひらめく時がある、意味が繋がることがある。自分の使えるものは全部使って。。。
合気道というのは、様々な理合いを含んでいて、実は複雑に絡み合って成り立っているんです。これを気合いだけでうまくなろうとしても無理ですし、頭だけで理解しようとしても無理なんです。頭も体も全部使わなければさまざまなことが見えてこないのです。ちょっとはわかってもらえましたか?
上記のようなことを意識しながら行ったとしても、これまでの形を大きく直さなければならなくなることもあります。それは、私にも経験がありますが、はじめからつき進む方向が完全に見えているわけではないからです。ずっと行ってしまってから、やっぱりこうではなさそうだと気付いてしまうことがどうしてもあるからです。
その時には、思い切って変えるしかない。これまで積み重ねてきたものには執着したいものですが、勇気を持って変えざるをえない場合もあるのです。
しかし、それに気付かずに誤った方向へ行きっぱなしになってしまっていることこそ、不幸なことです。
こう言っている私が実は誤った方向に向かっているのかもしれず、それは、皆さんが判断するしかありません。
結局は自分の信ずるところを進むしかないのです。しかし、だからこそ合気道は楽しい。様々な発見があります。

こうして綴るのは、私が思考錯誤に10年掛かったものを皆さんが5年でできるようになるのであれば、プラス5年は私の上を見ることができるようになるかもしれないと思うからです。今は何を言っているのかわからないことかもしれませんが、きっと何かの足しにはなるでしょう。皆様の健闘を期待致します。


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