宗教と武道

亡くなった私の両親がお世話になっているお寺のご住職から、お寺の寺報に掲載する原稿を書いてほしいと依頼があり、昨年書いた「宗教と武道」という原稿です。なので合気道を知らない方に合気道を紹介する意図もありますので、事前にそのような背景であることをお伝えしておきます。

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《 本文 》

私は15歳の時に合気道という武道を始めて43年が経ちます。現在は川崎市内を中心に、川崎市武道館、多摩スポーツセンター、高津スポーツセンターを拠点に合気道師範として、サラリーマンをしながら、そのすばらしさを伝えるための稽古と普及活動をしています。

合気道という言葉は聞いたことがあるけど、その内容はよく知らないという方に、合気道を少し紹介します。合気道は植芝盛平が大正末期から昭和にかけて創始した武道で、日本古来の柔術・剣術、各流各派の武術を研究し、独自の精神哲学でまとめ直した体術を主とする総合武道です。

昨年のNHKの大河ドラマで柔道の創始者、嘉納治五郎ができましたが、嘉納も植芝を認め、講道館に迎えたいという話をしたそうです。合気道は柔道と同じ日本の体術主体の武道でありながら、柔道のようにスポーツ化の道を歩みませんでした。それは昔から伝えられてきた日本古来の身体の使い方や技の数々、そしてその精神性がスポーツという平等とルール化の下で変質してしまうことを避けたためであると語られています。

 

さて、私とご住職とのご縁は、5年前の母の葬儀をお願いしたことから始まり、とし前には3年前には父の葬儀もお願いすることになりました。年に数回の法要をお願いしておりまして、そんな中でご住職が発行している寺報に掲載する原稿を書いてくれないかと依頼を受けました。

私は宗教にも興味があります。合気道は「動く禅」と表現される知識人の方もおられ、宗教と非常に近い接点があるように思うからです。今回はこの紙面をお借りして、「宗教と武道」ということについて、その関連性についてお話したいと思います。

 

新渡戸稲造という方をご存知でしょうか。五千円札の肖像ともなった方です。この方の詳しい話は省略しますが、1900年に「武士道」という書を世界に発信し、未知の日本の武士道精神が世界に知られ大反響となりました。この本の冒頭で、なぜこのような本を書こうとしたのか、その理由を概ね次のように述べています。

欧米で友人と歓談中にその友人から「日本では学校で宗教教育を行なわずに、どうやって子供に道徳心を教えるのですか」と質問を受けます。彼は教育者でもありましたが、この問いにすぐに答えることができませんでした。そして彼は、日本人に物事の善悪や正義の観念を吹き込んでいるものが「武士道」であることに気づき、日本人に流れる精神性の中には「武士道」があるということを世界に発信するに到ったのです。

以上のように「宗教」と「武士道」には、道徳心を養うものとして、またいかに生きるべきかという問いに応えてくれるものとしての共通性がありそうです。

それでは、今度は、「武士道」と「武道」の関連性と違いについて考えてみたいと思います。

 

武士道が発達するのは、江戸時代になってからです。徳川幕府体制となり、戦のない世の中とするためのルールとして、武家諸法度が出されました。江戸中期には戦もなくなり、各藩で藩校が作られ、士族のたしなみとして文武教育が盛んに行なわれるようになりました。

五常の徳「仁・義・礼・智・信」や「修身斉家治国平天下」というような教え、そして「忠義」という教えが武家の教育の中に取り入れられ、武道をたしなみ、自身の身体と心を鍛えたのです。これらが総じて武士道と表現されます。それが日本人の心のよりどころとして日本文化に溶け込んできたようです。

「修身斉家治国平天下」とは、天下を平らかに治めるには、まず自分に向き合いその身を修め、次に家族を養い家庭を整え、次に国を治め天下を平らかにする、といような順序に従うべきであるという教えですが、この修身という部分、自分に向き合いその身を修めるところを「武道」が支えたのだと私は思います。

「武士道」とは修身という自分に向き合うことから主君に対する忠義という一環した道を言うのだと理解できます。これに対して、「武道」は自己の身を修めることに着目した道と考えられ、武士道を基礎から支えました。

 

直心影流剣術を学び、剣道の師範、そして禅僧でもあった大森創玄(1904-1994)という方は、「剣と禅」という著書の中で次のようなことを述べています。

・(剣も禅も)両者とも死の恐れ、生への不安からいかにして脱出するか、というところから生まれ、またはその線に添って発達してきたと考えられる。

・両者とも人間のいのちそのものを真剣にみつめて、その根源へ根源へと掘り下げてきたものである。

 

「武道」は「武士道」の中の己を育てる要素をつかさどり、そしてそれは、宗教にも通じている。その根本はお互いに死への恐れ、生への不安からいかにして脱出するか、というところから生まれているところに共通点があり、相通じているということ、これは理解がしやすいところであると思います。ゆえに日本人の道徳心にも影響を与えた武士道精神は武道を礎に鍛え上げられ、自己の修身を支えるものとして武道と宗教というのは深い共通性があるのだと思います。

 

武術というのは、戦の中から生まれたもの、殺し合いの技術だったのかもしれませんが、戦の無い江戸時代に入り、生きていくための術として姿を変えて来たのですね。それが今の武道精神につながっているのだと思います。

武道への関心というものは、若い人ほど見た目の強さや激しさに心引かれる傾向があるかもしれません。しかし、稽古を重ねる中で、そこに到る道のりの遠さ、難しさ、深さを知ることとなり、心を強く持ち続けて、時間を掛けて一つ一つ試練を乗り越えて行かなければ、到底到達できないのだということを感じるはずです。

そして、そのような積み重ねの中で強さに対する観念が身体的なものから精神的なものへと比重が移り変わっていくように思います。この積み重ねからにじみ出るその方の想いや技が演武という姿ににじみ出てきます。そしてそれが人の心を打つのですね。

 

私も合気道の指導者の末輩として、合気道を通じて上記のようなことを感じてもらえるように、この日本に生まれた精神性を後世に繋げる活動を続けて行きたい思っています。

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《 補足 》

仁 ・・・ 自分の生きている役割を理解し、自分を愛し、他人へも慈愛を持って接す

      ることができることを言う。 

義 ・・・ 人が歩んでいく正しい道のことを言う。仁を実践する為には、勇気を持

      って正義を貫いてこそ成り立つ。

礼 ・・・ 相手に敬意を持って接することが礼、時に応じて自分を律し、節度を持っ

      て行動することを節と言う。

智 ・・・ 人や物事の善悪を正しく判断する知恵を言う。さまざまな経験を積むうち

      に培った知識はやがて変容を遂げ、智となって正しい判断を支える。

信 ・・・ 心と言葉、行いが一致し、嘘がないことで得られる信頼を言う。信頼は、

      全ての徳を支える。

忠義 ・・ 主君や国家に対し真心を持って尽くして仕えること。

修身斉家治国平天下

  ・・・ 天下を平らかに治めるには、まず自分のおこないを正しくし、次に家庭を

      ととのえ、次に国を治めて次に天下を平らかにするような順序に従うべき

      であるという思想。


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